お侍様 小劇場

    “咎罪者(とがびと)の恋唄(お侍 番外編 8) *カンシチ注意
 


    あんまり優しくしないで下さい。
    歯を食いしばることで正気を保っていた箍が、
    それは他愛なくも弾けてしまうから。
    あんまり甘い言葉ばかり与えないで下さい。
    それらがやがては手のひらから消え失せる
    “夢”だと判るのがつらいから。
    このままで安穏としていられる筈がないと、
    夜陰の暗渠に理由
    (ワケ)もなく怯えれば、
    暖かくくるみ込んで下さる懐ろが。
    どうしてでしょうね、この頃は、
    泣きたくなるほど恐ろしい…。


    ◇  ◇  ◇



    自分は久蔵と違い、島田の支家でも分家でもないところの人間だ。
    支家の人間だった両親が早くに離婚をし、
    自分への親権を離さなかった母が早死にしたせいで、
    母方の親族の間を厄介者としてたらい回しにされていた。
    最後にいた家では虐待まがいの扱いさえ受けており、
    勘兵衛の親御に助け出してもらわねば、
    こうやって生きて此処にはいられなかったかも知れない。
    だから、いろんな意味から、覚悟は出来てたつもりだった。





 【 こんなお話を、
   インターフォン越しに大きな声でするもんじゃないでしょう?】

 どこか鷹揚でいかにも場慣れしたような物言いをするその声には、重々聞き覚えがあって。何がどうだと具体的に攻めて来る訳じゃあないのだが、逃れられないところへ深々と、毒のある釘を突き通すような。何もかも見通しているのだという揺るがない自負を抱えての、底意地の悪い笑みを浮かべたお顔が容易に浮かぶよな、そんな言い回し。

 『あら、あなた まだ居るの?』

 新しい年が明けてから、何日くらいが経った頃だったろか。世間から正月気分が抜け切った頃合い辺りから、家の固定電話へと頻繁にかけて来るようになった、とある存在があって。平日の昼間ばかり狙ってかけてくることから、標的は自分なのだと七郎次にはすぐにも悟れた。

 『あなたへの“養子縁組”って対処は表向きのものなんでしょう?』

 最初のうちは、ただの言い掛かり、嫌がらせの脅迫まがいのそれかと思った。同性愛者というもの、日本でも一頃ほど異端視されない認知度になったとは言っても、ごくご近所にいれば話は別で、ついつい好奇の目だって集まろう。そこをちくちくと突々いてのゆすりでも働こうというのかと思い、だが、だったら相手になるまでもないと、そういう方向での肝は座っている方だったし、何とでもあしらえる“対処”の心得も十分にあったのだけれど。

 『島田の本家、あなたのせいで途絶えさせる おつもりなの?』

 島田という一族のことを知っているのだと、そうと仄めかされたその途端。七郎次にとってのその通話は、単なる事務的な応対で処理出来ることではなくなった。見ず知らずの女の言いようへ、いちいち息を飲み、良いように叩かれるままになる他はない、苦衷の日々を送ることを強いられ続けた。

 『ねえ、判るでしょう?
  あなたがそこに居る限り、島田の後継者は生まれないってことくらい。』

 親切ごかしの忠告めいていたそれが、日を追うごとにどんどんと圧力を増した言いようへ変わってゆき、

 『勘違いしないことね。
  勘兵衛様はお優しい方だから、
  自分からあなたを追い出すなんてこと、出来ないだけの話なのよ?』

 新しい生活を始めるには、一体いかほど要りようなのかしらね。ああ、意地を張れば張るだけ、たくさん貰えるとでも思っているの? そういう魂胆でおいでなのなら、あなたも結構大胆な性根をなさっていることね。いいわ、だったらいっそ、はっきりと話をつけましょうか? そんな散々な言いようを連ねたその声の主が、インターフォン越しという至近、すぐの眼前へととうとう現れたのだ。先のような押し付けがましい言いようをされずとも、お寒い中に立たせておくつもりはなく。どうぞと告げて玄関まで出てゆけば、ナチュラルに見せることへと手間のかかっていそうな白塗りの、研ぎ澄ました匂いをまとった女性がポーチ前に立っており。

 「あら。思ってたよりもずっと男前じゃあないの。」

 髪をうなじで束ねただけの、至って飾りっ気のない普段着のままで立ち尽くす青年を前に。もっとなよなよした頼りない人かと思ってたと、いかにも友好的ににこり笑って見せた彼女は。そちらこそ思っていたより若いお人で、オートクチュールか、洒落たコートの下にどこか豪奢なツーピースを着付けており。島田という家の、本家や支家の持つ風格や威風のようなもの、秘すことなくの常から放って通している人間であるらしく。それで当然と澄ました態度のまま、勧められるまでもなくと上がって来、ドアを開いてあった応接室に通されると、斟酌なしに上座へと座を占めた。
「私が何の用で来たのかは、もうお判りよねぇ?」
 華奢な肩口を覆って波打つ髪は、濃栗色で蜜をくぐらせたような光沢に濡れ、それをふるふると揺すって見せると、輪郭のくっきりとした紅の唇へ細口のたばこをくわえ、ペンライトのようなライターでぱちりと火を点けるまでが、何とも様になっている。
「本来だったら、私なんぞが女の身でしゃしゃり出ることじゃあないのだけれど。判るでしょう? 叔父様がたはあくまでも事を荒立てたくはないと。」
 やはり勿体ぶった言いようをする彼女であり、

 「一度だけ希望を訊いて下さるそうだから、幾ら欲しいのかをお言いなさい。
  それで四方が丸く収まるのならと、どんな無理だって聞いてやろうってよ?」

 良かったわねぇと微笑った口許が、いかにも支配する側や施す側の傲慢さに染まっていて。だが、そんな醜さへ抗弁する気力がどうしても沸かない。来るべきものが来ただけのことと、自身へそうと言い聞かせるので精一杯で。何へ何をどう、対せばいいのさえ判らない七郎次であり。それをどう解釈されたものなやら、
「なによ。」
 いかにもエナメルという塗りようの、深紅の長い爪の先。さして吸ってもない紙巻きを、日頃は滅多に使われていないクリスタルの灰皿へと押し潰し。見目麗しき客人は、ここで初めて、その目元を鋭くも眇めて見せた。
「黙んまりで粘ろうっての? 此処からは意地でも動きませんって?」
 そうよね、勘兵衛様ってお素敵な方ですものね。お顔立ちもスタイルもセンスも、群を抜いての人目を引いてやまないお方だし、お仕事への手腕も飛び抜けておいで。しかも同性へも手を延べて下さって。

 「でも、それだけじゃあないのよねぇ?」

 女の目許が 下から睨み上げることで瀬踏みをするよな険を帯び、

 「その筋じゃあそりゃあ大きな権勢のある、島田のお家の惣領様ですものね。
  そんなお方を身体の繋がりだけで良いように出来るなんて立場、
  誰にも譲りたくはないわよねぇ。」

 猫なで声とはこういうのを言うものか。ねっとりと甘く、微妙に掠れて熱のある声が、聞きたくはないことを、だからこそ。胸の奥底まで深々と、そそぎ込んでの絡ませて、繊細なひだへまで届けと染ませて来る執拗さがおぞましい。そんな囁きに背条がざわりと波立って、知らぬ間に堅く握っていた拳がコツリと微かな音を立てた。自分を悪く言われるのは構わない。ただ、

 「…勘兵衛様は、そんなことに左右されはしない。」
 「あら。そうかしら。」

 七郎次がそれまでの黙んまりを破ったところから、成程そこが弱点なのねと、相手へ振ったも同然だったが。そんな初歩的なことへさえ気づく余裕などないままに、
「私なぞどう言われてもいいし どうなってもいい。だが、あのお方を…囲い者に鼻面引き回されたように言うのだけは許さない。」
 どんな動揺もどんな苦衷も二の次になるほど、心底許せないことだったから。それだけは正したくてと心が滾
(たぎ)る。青い双眸に険が宿って、相手が誰であれ関係ないと睨めつけた気魄はただならぬ強さだったものの、
「囲い者、か。私はそこまで言ってはないのだけれど。」
 真っ赤な口許がくすすと微笑って、尚の余裕を見せて。そして、

 「そうよね。
  せめてあなたが女性だったら、私だって叔父様がただって野暮は言わない。
  でも、あなたは男ですもの。
  一生かかっても“囲い者”以上にはなれないのよねぇ。」
 「…っ。」

 それじゃあ後継者が出来ないから困ると、そう言ってるだけ。どこか何か、間違っているかしらと。彼女が挑発した部分を故意に曖昧にしてしまうような物言いをし、誤魔化すなと食いついて来ればよしということか、形のいい脛をひょいと組んでの再びたばこをつけようと仕掛かった…そのお顔の前へ、

 「………?」

 不意に差したのが、何か長いものの陰の黒。あまりに近すぎて、焦点が合わなくて、女の側には正体がなかなか判らなかったものの。二人の間へ割り込んだ人物があってのことと、それへ庇われた格好になった七郎次には…驚くしかない存在の急襲だった。

 「シチを愚弄するな。」
 「な…久蔵殿っ!?」

 今日は間違いなくの平日だのに? 大学への受験の為にと時間を融通されるのは三年生だろうし、それへ合わせて彼らもまた授業が短縮になったとしても、それならそれで部活があろうから、到底帰宅している時間帯じゃあないはずで。だっていうのに、自分の前へとその痩躯を割り込ませ、やや斜めの半身となって、彼にもまた見ず知らずの女性へと木刀を構えている次男坊であり。
「な、何よ、この子はっ!」
 殺気を孕んで突然乱入してきた存在へ、さすがに驚いた彼女とは別の方向、
「久蔵殿、いけません。女性に手を挙げるだなんて…。」
 家族の姿につい、我に返ったらしい七郎次が一番に優先して制したのがそんなこと。この期に及んでまでも、自分より家族のことを案じるとはという いかにも彼らしい見当違いな言を聞き。くすすという女性の声で、軽やかな笑みの気配が立ったのは、

 「? え?」

 だが、彼らが対している側ではなくの背後から。久蔵が帰っていたことも意外だったくらい、誰も在宅してはいない筈なのにと、怪訝に感じての肩越しに背後を振り返れば。
「あ…。」
 久蔵が音もなくのし入ったらしい戸口に、別口の女性が立っており。濡らしたようにつややかに結い上げられた黒髪も麗しく、色白な容貌にシックな小紋のよく似合う、粋な年頃の婀娜な美人。眸が合った七郎次へにこりと微笑う彼女こそ、

 「ゆ…。」
 「雪乃っ。」

 あまりの急展開へ半ば呆然としていたこともあったが、それ以上の反応のよさで。自分より先に久蔵が喜々としたお声を上げたのが、七郎次にはこれまた意外。確かにその女性は雪乃といって、勘兵衛の仕事先の近所、赤坂に本店を構える老舗料亭の女将であり。七郎次も何度か連れて行ってもらった覚えがあっての見知ったお顔。そんな人物を何でまた、つい一昨年まで木曽の山奥にいた久蔵が見知っているのだ?

 「お久し振りですね、久蔵さん。」

 はんなり微笑った雪乃へも、招かれざる客の女はきりきりと尖った眸を向ける。せっかく あと一押しで思い通りに運び掛けていたものをと、そんな焦燥が色濃く滲むお顔へ向けて、
「構うこたありませんよ、久蔵さん。そんな女ギツネ、お尻でもお顔でも好きなだけ ぶっておやんなさい。」
「あ、いや、そんな言いようは…。」
 軽々しくも煽らないでと焦る七郎次を、さらりと寄越した流し目ひとつでいなした若女将。慣れた所作にて着物の裳裾を切れよくさばくと、丁度久蔵と並ぶように進み出て、問題の女と真っ向から向かい合う。

 「このお人がどういう坊ちゃんかも知らないようじゃあ、
  やっぱりあなた、島田の分家筋のお人じゃあないようですね。」

   ――― え?

 呆気に取られる七郎次の眼前にて、すっぱり言われた彼女が唇をますますと歪めてしまい、
「木曽の御大の直系のお孫さん。島田の支家の跡取りだってのに、それが判らないようじゃあねぇ…。」
 ただのお使い、それもよほどに遠い筋の誰かさんが、資産か何かを見越しての見当違いに寄越した、下賎な女ギツネみたいだわねぇと。わざとらしくも鼻先で嘲笑うような言いようを放ってやれば、
「くっ。」
 それまでの余裕はどこへやら。言葉に詰まっての、見る見る内に悪鬼のような醜悪な顔となる女だったりし。それでも威容だけは崩すまいとしてのことか、憤然と立ち上がると、立ち塞がる二人を突き飛ばすように真っ直ぐ進んで来たものの。そこはそれぞれに、武道と日舞でならしての、体の切れがいい二人。そりゃあなめらかに二手に分かれて差し上げたので、勢い余ってのこと、却ってたたらを踏みかかったほどの彼女へ向けて。大丈夫かと手を延べてやったのが七郎次なのが何とも皮肉。せめてもの強がりにか、ふんっと鼻息荒くも彼を睨みつけかけたところへと、

 「高千穂の叔母様か、茅崎の叔父様か。
  雪乃が来月にもご挨拶に伺いますからと、お伝えくださいましねぇ。」

 その辺りの方々の差し金だろうというところまで、調べはついているのだという意味合いの、当てこするような言い回し。嫋やかなお声が紡いだ とどめのお言葉が降って来たのへ、やっと自分の立場が判ったか、
「な…っ。」
 今度こそ真っ青になってしまった彼女が、もつれるような足取りで玄関へ駆け去ったのが、こたびの騒動の終幕とするならば。この二人の登場から、何分も経たぬうちの展開は、正にあっと言う間のと評して良いそれ。だが、

 「………どういうことですよ、これ。」

 あの女が来たことからして、七郎次としては…予測はあったがそれでも突然のこと。だってのにどうしてまた、このお人たちは。こうまでも準備万端の周到に、姿を現し、窮地にあった自分を庇っての助けることが出来たのか。
「久蔵殿、学校はどうしましたか? それに雪乃さんと知り合いみたいですが…。」
 あまりに急な成り行きに、翻弄されてた気持ちが依然として浮いたままのよう。今頃になって手が震え出した七郎次であり、それへと気づいた次男坊が、

 「シチ。」

 自分の肩へと載せられた手を逆上り、相手の二の腕をどうどうと優しくさすってやったほど。それでようやく自身の震えに気づき、全身へ戻って来た血の気の暖かさにほだされたか、頬が、目許が熱くなる。それをどう解釈したものか、久蔵が慌てたように腕を伸ばして来、きゅうと抱きついて背中を懸命にさすってくれて。いかにも幼い宥め方へ、それでもこの際はと凭れていると、

 「実はあたしも、島田のお家に関わりのある身なんですよ。」

 先程までの威勢は仕舞ったらしい、ちょっぴり申し訳なさそうな雪乃の声がした。分家や外戚なんてな繋がりはなかったんですけれど、両親だか、その親だかがお世話になったことがあったんでしょうねぇ。
「久蔵さんがうんと小さいころに、話し相手って格好で木曽のお屋敷にいましてね。」
 まだ久蔵さんがこ〜んな小さかった頃のことですがと、腰より下へまで雪乃が手をかざすのへ、そんなまで小さくはなかったと、ご本人が律義に反駁するのが可笑しくて。ついつい微笑ったことで少しは落ち着いた七郎次へと、

 「儂が出てゆくと大事になりかねんのでな。」

 相手が逆上して何もかも投げ出しての捨て身でかかって来られては何にもならぬ。私にまでは気づかれていないという格好で、相手へささやかな逃げ道を与えるべく、彼らに声をかけておいたのだと。そんな含みを込めたお言いようをなさっていること、七郎次にはそんな短い一言で理解出来る御主、勘兵衛様ご本人までもがその姿を現したのへは、

 「………。」

 驚きはしなかったものの、先程よりも深く沈んだ表情を見せるところが痛々しい。そうかと、このお人たちがこうまで見事に居合わせたは、他でもない彼の思し召しがあってのことかと合点がいって。そんなおっ母様へと、
「…?」
 どうしたのと小首を傾げる久蔵へ、
「久蔵さん、お部屋を見せてくれませんか?」
 気を逸らすかのように声をかけて来、さあさあと手まで取った雪乃にそちらは任せ。さて、ドアが閉じてから少しばかりの間合いを数えてから。

 「…何故、言わなかったのだ。」

 あのような者からの接触があったこと、どうして今まで隠していたのか。それが最も腑に落ちないと勘兵衛が訊けば、
「…申し上げても詮無いと思ったからです。」
 項垂れたままの七郎次が、躊躇もなくのあっさりと応じた。先程の女から散々に、侮蔑紛いの言いようで詰
(なじ)られていた間は、どこか呆然としたまま黙んまりに固まっていた彼だのに。今はいやに毅然とした顔になっており、
「今回は詐欺のようなものだったようですが、アタシは…私は、あの女に言ったようにただの囲い者です。勘兵衛様はいつかは奥様をお迎えにならねばならない。その方が寛大なお方で、居てもいいよと仰せになられればともかく。」
 そんな運びになんて、なる筈がないのもまた判っているから。だからという苦笑に口許をほころばせ、

 「いつかは勘兵衛様から離れねばならぬと、
  此処から出て行かねばならぬと判っておりました。だから………?」

 声が中途で躍ったのは、ぐいと強引に腕を引かれたから。ああ、御主の温みだ匂いだ。暖かくて優しくて、この総身をやすやすとくるみ込んでしまわれる。肩口からこぼれてくるは、豊かな蓬髪の少し冷ややかな艶の感触で。雄々しい腕の感触に取り巻かれ、深い懐ろへと抱き込められると。もうもう何がどうなってもいいと思えてしまう、どんなに抗いたくとも此処からは離れがたい、そんな束縛が七郎次を捕まえる。

 「言っておくが、儂はお主を手放す気は毛頭ないからな。」
 「勘兵衛様、」
 「死に水を取ってもらうと、いつぞや約した筈だ。」
 「あれは…。」

 反駁の言、皆まで言わさず、抱き寄せての口許を封じれば。腕の中で、男としてのしっかりした骨格が、だが、柔らかく身じろいで。

 「ん…。」

 触れるだけでは許さずに、喰むようになぶっての貪りつくせば、やがて。気を張っていたものが、ふうとゆっくり萎えてゆくのが、腕へ胸へありありと伝わってくる。決して頼りなくはない、荒ごとへも敢然と立ち向かえるし、むしろ誰よりも頼りに出来る気丈夫でありながら。なのに…こうまでの間近、ひたりと身を寄せ合うことへの抵抗が薄い間柄となって、もうどのくらいになるのだろ。最初からそんな相手として身近へ引き取った訳ではない。気がつけば互いに惹かれ合っていて、どこまでも深くと相手を求め合ったまでのこと。少なくともこちらからは、勘兵衛の側からは、そうと思っていたのだのに。どうしてこうもこの彼は、自信を持ってくれぬのだろか。こうしていることが、睦み合う間柄であることが、どうして勘兵衛の負担になると思うのだろか。

 “………。”

 懐ろの内を見下ろせば、女にでもそうはいなかろうほどの、きめの細かな肌の白さが、金の髪を透かしての、首条にうなじにと覗くのが。いつになく、何とも寂しげに見えてしようがない。ゆっくりとその髪を梳いてやれば、それへと応じるように僅かほど凭れてくる呼吸も慣れたそれ。だが、
「久蔵でさえ、様子がおかしいと気づいておったのだぞ?」
「それは…精進が足りませなんだ。」
 くっと、喉を鳴らしての笑った気配がし、
「次があったなら今度こそは気づかれずに。」
「だから…。」
 他のことであったなら、勘兵衛の慧眼さえ誤魔化すほどもの素知らぬお顔で、どんな策でもこなせよう、胆の座った剛の者。それが こたびはこうまでも、明け透けに動揺しておったくせにと言及しているのへのこの態度。まま、ということは持ち直したということかも知れず。次などあってたまるかとの溜息混じり、含み笑いをこぼしたお顔をあらためて覗き込めば。
「………。」
「どうかなされましたか?」
 お顔の様子と裏腹、淡々とした声を出すところをみると、

 “気づいていないのか?”

 眉を下げてつつズボンのポケットをまさぐって。いつから入れてあったのだか判らない、折り目の堅いハンカチを取り出しの、差し出してやる勘兵衛で。え?と意味が判らないらしい表情になる青年の、鼻の頭へ押しつけてやり、
「久蔵が案じるぞ。」
「あ…。」
 とうとう頬へ、零れていた涙を拭けという、こちらの意がやっと判って慌てる様が、


  『迎えがこうまで遅ぉなって済まなんだな。』
  『いいえ。お逢い出来て嬉しいです。』


 髪を無残に刻まれて、明らかに丈の足りない粗末な服の、袖や裾から覗く手や爪先をアカギレでボロボロにして…という、何とも悲惨な姿のまま。なのに固まったような笑い顔、必死で見せてた初対面の時の、たいそう幼かったころの彼とそのまま重なるのが痛々しくて。


  「なあ、七郎次。」
  「はい。」
  「儂を…わたしを独りにしないでくれ。」
  「…はい?」


  ―― 何かしら間違っておれば、諌めてくれればいい叱ってくれればいい。
      だから…ずっと一緒にいておくれ。






  〜Fine〜  08.1.19.


  *らしくない方々のオンパレードでしたね、申し訳ございません。
   雪乃さんの料亭の話とか、もっと細かく書こうと思や出来ましたが、
   こんな鬱陶しいお話でしたので、手っ取り早い一幕ものにしちゃいました。
   このシリーズでは、
   基本的にほのぼのしたアットホームなネタをとしているのですが、
   こういう展開の生々しい夢を見ちゃったので、つい、
   書いてみたわけでございます。
   この手のドロドロした例えばドラマとか、
   避けて通る方なんですがね。
   新番組のCMとか観たからかなぁ?
   あ、夢の方は、
   S7のキャスティングで見たわけじゃなかったと思うのですが…。


めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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